泉乃純花と友だちになりたい。

言語性iqは83。作動記憶は76。

前職同期が会いにきてくれた!

前職の嫌な思い出ばかりを語っているけれど、一つだけとても良い思い出がある。それは、同期と友だちになれたことだ。

とにかく相性が良くて、笑いや趣味のセンスが同じで一緒にいて心地よい関係だった。2人で仕事するのはいつも楽しかったし、2人で飲みに行く酒は美味かった。
長話しても飽きる事はなくて、ウィットに富んだ返しをくれる。同期と出会えたことはあの会社に入ったことの不幸中の幸いだった。

休職してからも定期的にメッセージをくれたり、心配をたくさんかけさせてしまった。申し訳なかった。休職期間、心の支えであってくれた。同期と一緒に働きたいから仕事を続けたいと思っていた。しかし色々なことが重なって、退職を選んでしまった。同期を残して退職してしまったことは、申し訳なくて同期が病んでしまわないか心配だった。

同時期に同じ理由で上司と新卒2人が鬱になり退職したのをきっかけに同期のことを気にかけてくれる人が増えたようだった。ひとまずホッとした。それでも、私は前職場に信用がないから不安なのだけど、心を気づかってくれる人が増えたことは素直に良かったと思う。
辞めたくなかった、辞めたかったの葛藤が一年経っても頭にへばりついている。辞めた後悔よりも、私が辞めたことにより同期が良いポジションにいられるのなら辞めて良かったと思った。


私が関東から九州へと引越し、友人がいない生活を送っていることを知って同期はサクッと有給を取って遊びにきてくれた。まるで中学生の時にフラッと家まで自転車に乗って遊びに誘うように。フライト1時間40分の時間と往復1万5千円を超える距離にいる私に会いにきてくれたのだ。会えただけでも嬉しい。会いにきてくれたことが嬉しい。絶対に同期は幸せになって欲しい、そのための応援も努力もしたいと思った。

一泊二日の弾丸旅行に付き合って、観光を楽しむ。
心の底から笑えたし、笑ってくれた。
会わなかった間、お互い何があったか話すだけで楽しかった。観光する予定だったのにジョイフルに連れてって3時間くらい滞在して、大笑いした。

私は運転ができないけれど、レンタカーを借りたので行きたい場所に行ける同期がかっこよかった。前の主治医に車の運転はやめるように言われていたけれど、車を運転できるようになりたくなった。できることなら、同期を助手席に座らせて、私がハンドルを持って歓迎したかった。

同期が会いにきてくれた、一泊二日の旅行は私にとってかけがえのない思い出になるだろう。この恩はずっと忘れないし少しずつでも返していきたい。お土産を渡してご飯をご馳走したぐらいじゃ割に合わないぐらいの幸せをもらっている。いつか同期が凹んでいたら真っ先に駆けつけようと思った。私が仕事に就いていたら有給をもらう、会うのが辛いなら電話でも良い、サイゼリヤで1時間会うだけでも良い。辛いことがあったら、話聞いて解決方法を探したり一緒に泣きたい。同期と友だちになれたことを考えれば人生プラマイプラなのかもしれない。だから人生もうすこし頑張ろって思えてくる。

前職のパワハラも鬱になったことすらも、同期に出会って友だちになれるなら何回でも同じ道を辿りたいと思う。
単純だから、あんなにキツかった前職の記憶を風化しているのかもしれない。しかし同期と出会うためにあの会社で働いたんだと思うよ。
同期ありがとう。友だちになれて幸せ者だよ。

途中で起こすな!

昨日の夜、9時くらいに眠気が来て重度不眠症の私としては、最高の眠りにつけると思いました。
fitbit の計測によると1時間20分寝た後に、「眠れてる?」と私を起こして意識の確認をしました。
その後、普通に眠りについた彼氏が憎い。

一度起きてしまったので、眠りたいのに眠れない。
睡眠薬は効かないから、もう今日は睡眠を諦めるしかありません。本日、働かない頭を動かしてブログを更新しております。

無気力と思考できない脳、眠りたいのに眠れない辛さ。
あの時起こさなければ私はちゃんと眠れていて
起きることができたのに、という怒りです。
重度不眠症と知っていて、夜規則正しく寝ることができないと彼氏は知っていながら
起こして「眠れてる?」と聞くのは愚の骨頂。
謝罪は一切なし。

朝眠れてない私にイライラするのを隠さずに、会社に行きました。
彼氏の行動の不可解さとを聞くと、心配だった、寝ているか分からなかったと答えるのがオチでしょう。
心配ならソッとしておくのが正解だし、寝ているかおきているか分からないなら話しかけないのが無難なはずでは?

ただただ、眠れそうだったのに眠れなかった苛立ちが募るばかりでした。

私と母

私の人生最大の悩みは母で、私の人生の最大の決断をさせてくれたのは母だ。

高校生の時に、私の家庭はどこかおかしいと気がついた。そして、今でこそ「毒親」という言葉が広く浸透しているが、当時はその言葉も存在を知らなかった。

毒親にも色々な種類がある。
我が家は過干渉タイプの毒親だった。
友人関係、恋愛、進路、ファッション、考え方、全てに干渉し、母親の中のにいる理想的な“私”を求められた。
なぜそのような干渉行為が行われたのか。
私の希望的な観測を言えば、私が育てにくい子だったが故に、母は普通の子にしようと厳しく育てようとしたのかもしれない。
現実的に考えるならば、母は私を支配したかったと考えるのが妥当だ。そして私も母とは共依存の関係だったのだと思う。

1つだけ特に酷かった母親のエピソードを紹介しておく。
中学1年生の時だ。私は片想いをしていた。その初恋を母に雑談の1つとして話したのだ。後日、母は娘の恋を応援したくなったのか、その片想い相手に会いに行き「ウチの娘と結婚してください!」と言ったのだ。
相手の彼も中学1年生。いきなり知り合いの女の子の親が家に突然やってきて「結婚してくれ」と言われる。
可哀想だし、申し訳ない気持ちがいっぱいになった。
私が謝ったら彼は苦笑いをするばかりで恥ずかしい気持ちいっぱいになった。

思い出すの辛いので、より具体的には話せない。
しかし、そんなことをされても私は母親を直接怒ることはできなかったし、モヤモヤとした気持ちを抱えて、母だから仕方ないと思っていた。

その後の教訓として、母には当たり障りのないことしか話さないようにしようと決めた。それでも、進路や習い事、服装についてはどうしても母を通してではないと決めることはできない。また、私が学校生活の話をしなくなったせいか、一層友人関係の過干渉が増えた。

私と母は共依存の関係だったので、モヤモヤを感じるものの母が正しいのだと信用していた。母に決断してもらうことは安心感があった。母に対してモヤモヤした気持ち悪さを抱えながらも、母を信じていた。母を信じるたびに、レグカが増えて髪が抜けても、母がいるからどうにかなると信じていた。

平穏な共依存の関係は長くは続かなかった。
妹の高校進学時、母に対して私は猛烈な違和感を覚えるのだった。
幼い時から、金がかかると言われて育てられてきた私は、とにかくお金を使うことを嫌っていた。小学生のお小遣いでもらえる月500円を2万8千円ほど貯金していた。友だちと遊ぶ時もお金は使わない。たまに見兼ねたおばあちゃんがお金をくれて、使ってこいと言ってくれた。そのお金も少しだけ使って残りは貯金していた。

我が家は貧乏なのだ。お金を使ってはいけない。お金を使うことは悪であり、罰当たりだと思っていた。
習い事のお金(母が勝手に習い事を申し込んだのだけど)に対しても、月謝に対して怯えていたし、服を買ってもらう時は親の掲示した服を選ぶとき安さを優先した。私が習い事をしたり、服を買ったら、家族は露頭に迷ってしまうと信じていた。


しかし妹は私立の高校に単願で入学をし、堂々と油絵をやり始めたのであった。
油絵は母の趣味でもなく、妹の自主的な思考のものである。
母曰く「妹は仕方ないから!」
油絵は妹が自らやりたいと言ったのか?油絵は金のかかるものではないのか?私立の高い高校に単願の入学金は?妹の高校進学のための塾代は?妹が高校生になるからとクローゼットいっぱいに買った服は?

何度も頭を抱えて、何かを疑うきっかけになった。
一度気づいてしまうと、後から後から納得できないことが頭の中を占める。はたして、母を信用していいのだろうか。
その時からTwitterで親の愚痴をこぼすようになった。
妹への葛藤、母への不信感、それでも母を信頼したいという気持ち。部活動の仲間には、なぜか「私、母親のこと尊敬してるんですよ」とか「妹のこと好きなんです。可愛いんです」と嘯いていた。正直、嘘でもそんなようなことを言わないとマトモに生きてられない状態だった。
インターネットの片隅では母や妹へ不満を吐き散らし、現実の人間には母と妹を絶賛した。
それでも母と楽しく夕飯を作ったり、テレビを見て雑談をしたりしていた。母を疑いつつも信じたかったのだ。



母に対しての不信感が募った決定打は、私の大学進学だった。
「妹がいるんだから、妹のことを考えて進学しなさい」
当たり前に言われた。妹は美術大学に進学するから、私は専門学校か高卒でもいいじゃない。もしくはMARCHか国立大なら良いよ!
母を盲信しようとしていた私も、面と向かって言われたら傷ついてしまった。どうしようもない妹との差を感じて、私は何のために生きているのだろうと思った。私は私として生きてきたのか?妹は自分らしく生きているのだろうか。

私に反抗期がやってきた。
進路希望は美術大学
バイト代は家族のために使わない。自分のために使う。
どうすればお金をかけずに大学に行ける方法があるか作戦を練った。

結果的に私は美術大学に入学してしまった。
バイト代でやりくりしたり、貯金癖のお陰でどうにか上手くいった。
初めて自分の意思で何か決定して上手くいったことに対して泣いた。母の言う通りにならなくても人生は生きていけるのだと知った。


私の反抗期の間、母は私にチクチク言葉を使い罪悪感を煽った。その度に私はなんて最低な行動をしているんだと思った。親の言うことを聞かない罰当たりな娘だと思った。
私が生まれてきてごめんなさいと思った。私が泣くと母は優しく抱きしめてくれるので、やっぱり母が正しくて私は間違っているのだと思った。
それでも布団に入って思考を練るたびに、私は間違ってないと思い込み続けた。


無事に進学してバイト漬けの日々、進学したことによって少しだけ母との距離感ができた。
高校生の時よりも稼げることが楽しかった。
素晴らしい学友たちもできた。
そしていかに私の認知が歪んでいるか教えてくれた。
私のために本気で怒ってくれたし、喜んでくれる学友たちができた。
もう私はこのコミュニティがあれば生きていけると思った。しかし母は何かと機会があれば私との距離を詰める。
私は昔から美術に興味あったもんね!お母さん知ってたよ。と甘い声で言われると、母親の全てを許してしまうのであった。


そうして母の希望する美術教師の合格と就職活動での私の希望していた企画開発職内定を同時期にもらった。
私は、美術教師になろうと思っていた。
正直、私には教師という職業が向いてないと感じていた。しかし母が望む美術教師になれば、親孝行になるだろうと思っていた。それに進学を許してくれた理由が、美術教師になることだった。反抗期を得て迷惑をかけたのだから母の望む就職でもいいだろうと思った。

いざ母に報告すると、美術教師は辞めろと言われた。大学に進学する理由は、教師になること以外認めないと言っていた母が教師を反対したことに驚いた。
教師はブラックだからダメだよ!と軽く言われて、お母さんは娘が作った商品を見たい!と言ってくれた。
複雑な気持ちだったけれど、母が教師に向いてないよ、と言ってくれたのだからやっぱり母は救いなんだと思った。


就職した後はすごく気が楽だった。
親がいない家はこんなに安心するのだと思った。
母からの連絡がくるたびに気分が悪くなり、母に対しての自分自身の気持ちを感じることが増えた。
それでも母を嫌いになるのはいけないから、と素敵な親子関係を築くために母への連絡は怠らなかった。


内定した企業で一年ほどぐらい働いて、休職してしまった。理由は、先輩からのイジメだった。いわゆるお局の標的にされてしまった。何度か経営陣に相談しても我慢しろ、耐えろの一点張り。職場で仕事を教えてもらえず、仕事をしろと言われ、何か仕事を見つけてくるといびられて、お局の仕事になった。見て見ぬ振りをし続けた経営陣や部長を見て、非道な人間は干渉しないのだ、と思った。過干渉も1つの愛なのだと思った。


休職後、母に連絡はしなかった。
迷惑をかけたくなかったし、母に心配をかけたくなかった。また治ったら復職する気持ちもあった。


出先で倒れて救急車に乗ってしまった。
当然母に連絡がいった。


幸いにも点滴を打ったら、気分が楽になり歩けるので迎えにきてくれた母と帰ることになった。

帰り道、母は怒っていた。
それが職場に対して怒っていたのなら、いまだに私は母との望みのまま生きることを選んでいたと思う。
母が怒ったのは私に対して怒ったのだった。


会社に迷惑かけて申し訳ないと思わないの?
話を聞いたら疲れる、お前と話したくない。
ワガママしか言わない。お前は赤ちゃんと何も変わらない。
お母さんが飲んでいい薬と飲んではいけない薬を決めるから薬を出しなさい。
病院に行くから鬱になる。病院に行かなければ鬱にならない。

暴言と偏見のオンパレードだった。

母は上京した私の部屋をここぞとばかりに物色する。
なぜか母が楽しそうに見えた。

この時だと思う。
妹が入院した時に親身になって片時も離れずにいた母と今の母が同一人物だと思えなかった。
あの時、私も妹の下宿先へ出向いた時、母は妹の部屋を物色しなかった。シンクに溜まった食器を洗い、布団を干して部屋の換気をしただけだった。
確実に、私と妹では差があるんだと思った。
ずっと、母は私のことも好いてくれていると思い込んでいた。
好きでいてくれる、好きじゃない、心の中で迷い続けていた答えが見えた気がした。


物色する母に丁重にお断りを入れてお帰り頂いた。
他人行儀のように、淡々とお願いをして帰って頂いた。
泊まると言い張り、泊まらせろとキレる母を脅した。
なんとも言えない間の後に、母は帰っていただけることになった。


後日、母は私のことをどれだけ愛しているかという長文の手紙が届いた。
破り捨てて、泣いた。
退職届を出し、引越し作業を進める。
母には私がこれから何をするか何も話していない。
1人で全て実行した。


都合よく遠距離の彼氏がいたので、金がない私は転がり込む。
母が選んだモノを捨てていく。
ベッドのマットレスだけ捨てられず、持っていくことにした。でもこれも捨てて買い換える。
お金で買ったのに、捨てるのはもったいない、なんて気持ちはなかった。また働いて買えばいい。もう私は1人で稼げる。だから働くことに怯まない。


無断で引越した。
引越し先を教えずに引越しをした。
引越しをする時に、過去に経験したこと、そのことについての私の気持ち、今後縁を切る旨の手紙を送った。
電話で母はキレて怒って、私が謝るまで許さないと言った。
謝ることはないから、本当に母と金輪際合わなくて良いのだと思ったら安心感が溢れてきた。罰当たりなことをしていると微塵も感じていない自分がいた。


母は私の居場所を知らない。
引越したことさえ知らない。
母はもう私に連絡をしてこない。


そしてこれからどこかに仕事が決まったら、彼氏と別れて家をでていく。もうすべて自分で決めていいんだと思うと、頭がおかしくなるくらい嬉しくなる。


たまにどうしようもなるぐらい、決断できなくて不安になる時もある。でも不安がすぎると1人で生きていけることに希望が見える。


最後まで母に対してあった想いを断ち切って、縁を切る決断させてくれたのは母だった。
今でも育ててくれたことに関しては感謝をしている。そして、これからの母の人生が幸せであることを願っている。どうか1人で幸せになってください。
私は仕事にもつけていないし、健康ともいいがたいけど、今人生で一番幸せです。



#「迷い」と「決断」

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論文対策

論文対策のために、合格した論文を読んでみることから始めた。案外論文の内容に疑問を持っていても、筋が通った論文なら合格しているということが分かった。しかし、それで良いのかという疑問も持つ。

前回の障害者国家公務員試験では「誠実さとは何か」がお題として出された。この問題は作文形式だったのだが、私は、購入した参考書を読んでから作文と論文の違いを知った。しかし、正しい書き方の指南書もあり作文対策にもなると思い、参考書の合格者の論文を読むことにした。

論文出題の主なテーマは大きく分けて3つあると分かった。
1つめは少子高齢社会について等の社会問題。2つめ市町村の行政について知識を測るもの、3つめは公務員の心得とは何か等の志望動機だ。

1つめの少子高齢社会について等の社会問題に対しする出題は、比較的記述しやすいと思った。なぜなら私はニュースを見たり、読むことが好きなので世論を知っていれば中道的な立場で意見を書きやすいからである。

2つめは、各自治体で何をやっているかあらかじめ勉強しておく必要がある。市町村には必ずホームページがあるはずなので、そこで行政の動きを見ておく必要がある。また、他の市町村とは何が違うのかということを数字として知っておく必要がある。暗記すれば良いのだが、どのジャンルが出題するか分からないので想定外の出題には困る。過去問の傾向を見て、ヤマを張るのが良いのかもしれない。事前に勉強していれば記述できる内容である。

3つめは公務員の心得や目指すべき公務員像といった志望動機系だ。この出題が正直一番困る。なぜなら、志望動機には正解がなく、どれだけの熱量を読み手に伝えることができるか、という曖昧な判断になる。 合格論文を読んでいても、書き手のそれぞれの気持ちに左右されており「この考え方で公務員として合格になるのか」と感じられる内容もあった。こういう、答えがない論文は難しい。

インターネットで検索すると論文・作文は減点式なので筋の通っている文であれば合格になるという意見もある。しかし、筋が通っていても試験の場では中道的な意見を持つべきだと私は考える。もちろん、公務員も人間なのだから個性や多様な考え方を持っていても良い。しかし公務に従事するときには、自分の考え方だけではなく中道的な立場で住民と向き合っていくべきだと私は考える。
そのため志望動機としての公務員のあり方の問いは難しいと私は思う。

論文対策の参考書を買ってきた

このブログを読む限り言語iqの低さがそのまま文に出てるので、何を言いたいかよく分からないブログになっていると思っていました。

好きなブログを見ても、言いたいことがよく分かる、伝わりやすいブログで、簡潔な言葉で説明してくれるのがほとんどです。自分の感情を伝えるために、謎の表現を使った記事は余り良くないと感じていました。

国家公務員試験を受けるにあたって、論文対策が必要だと思い、論文対策になるようにブログを書きたいと思います。

参考書で買った本はこちらです。

公務員試験 現職採点官が教える!合格論文術 2020年度

公務員試験 現職採点官が教える!合格論文術 2020年度

作文対策はどうしようかな、と思ったんですが
内容が一番わかりやすかったので買いました。

論文を書くについていくつかルールがあることを知らなかったんですが、特に驚いたのは「で〜ある」で記述しなきゃいけなかったことです。

なので明日からは「で〜ある」を使ったブログを書こうと思います。
引き続き試験対策頑張ります。

髪を切りたい

欲しいものがあるときに
躊躇ってしまって
何だかんだでズルズルと買ってない

冬物の服とか汚くて襟とかよれてて
新しい服欲しくなったけど
引っ越してから友達いないし
綺麗な服が必要なくなった
でも自分が欲しい物欲はあるから
買えない自分が悔しい

働いてる時はなんだかんだで服を買っていたなと思う
季節に合わせて服を買い足して、不必要な服は売っていたから
もうそういうことができなくなったんだなって
なんとなく実感した

彼氏はだらしないので、高校生の時に買った服とかを今でもきてる。服に興味ないから流行りとか気にしてないみたいだし、オシャレとかも興味ない。でも着なくなった服は捨てないから不必要だろうに、と思うモノばかり溜まっている。

私が選別して捨てたいけれど、他人のモノを捨てるのはできない。自分で自分のものを捨てたくなくて、でも捨てて欲しいから他人に委ねて、暴言を吐いて、自己防衛する。

そんな暴言を吐かれるのが目に見えるから、私は手を出したくない。

それでも、アマゾンから届いた段ボールを毎回保存したり、もう中身は売れないぐらい使い込んでいるのに捨てない段ボール、高校生の時に買って大人になった今着れない服の山を見るとウンザリする。

優柔不断でだらしないんだなってモノの扱い方でわかる。

でも彼氏は働いてお金があるから、欲しいものを買える。服だってそうだし、わけわかんないAmazonで買うオモチャだってそうだ。

そうやって買う彼氏を見ると悔しくて働きたくなる。
働いてお金を得て自分の好きなものを買いたい。
新しい服が欲しい。やれてない襟の服が欲しい。
美容院に行きたい。半年間行ってないからボサボサ。

私は罪悪感を感じることなく美容院に行きたい
髪を切りたい。

ブログブーム懐かしいよね

言葉を文字にする作業をしなければいけないという使命感を感じる。
本当は気持ちを気持ちのまま伝えられたら良いのにと思うのに気持ちのまま伝えられないのが悔しい。

彼氏と最近楽しく暮らしてる。
まるで別れ話なんてなかったみたいに楽しく暮らしてるので、この幸せがずっと続けば良いなみたいな陳腐な幸せを願った。

ブログを開設した時はアフィリエイトで稼いでやる!と思っていたけれど、今はもうこうやって
気持ちを吐き出す場所になった。

といっても色々なブロブサービスを使わせてもらっているので、どこに投稿するかで悩んで、こんなにブログ使わないだろ、統一するか、と思うけれど

彼氏のことを隠しているブログがあったり
幸せなことしか書かないブログがあったり
してこのブログほど適当に書きたいことを
誰の遠慮もなくかける掃き溜めはそうそうないので
このブログ続けたいと思う。

平成生まれ平成育ち
多感な時期にブログブームが始まって
いろんなブログサービスを使ってきた

livedoor
忍者
fc2
alfoo
エムペ
Yahoo!ブログ
デコログ
noto

どこも長続きせずに淡々と移動を繰り返しながら
好きなことを書き連ねるのはまさにadhdって感じだね

それぞれブログサービスに特徴があって
私がこうやって愚痴やら惚気やら頭の悪いことを書き続けるのは、はてなブログのユーザー層と会ってないんだろうなと思うんだ。

でも使いやすいからクローズブログでずっと
日記を書いてる
彼氏の名前も記念写真も、
書きやすいんだよ、はてなブログ
読み返しやすいし

alfoo終了しちゃったのが悔しくて
もう一度alfooでブログ書きたいなと思ってる
alfooが一番素直にブログかけたんだよね
最低限の機能が良かったのかな

それでもなんでブログ続けるのかなって思いながら
はてなブログ書き続けるんだろうな
だってはてなブログ、更新しやすいし書きやすいんだもん…