断絶の壁

透明な子になりたいしスキも諦めたくないよね

強い言葉に慣れてしまう

インターネット、テレビ、コマーシャル、エッセイ、ライトノベル、コミック、メディアのエトセトラ。

「強い言葉」が溢れかえっている。

過激な表現や極端な思考、加虐・暴力性を含み、そしてシェアしやすいキャッチャーな言葉。私はそれらを「強い言葉」と呼んでいる。

私が「強い言葉」と相性が悪いと知ったのは最近だ。

休職して2週間後ぐらいから、SNSにのめり込んでいた。何かしなくては!動けないけど何かしなくちゃ!せめて情報を集めなければ!と焦っていた。
不安の吐き出し場所と、ロールモデルを探してTwitterを選んだ。それから「強い言葉」をツイートする人を選んでフォローしていた。

「強い言葉」は強烈なパワーがある。だから惹かれる。
シェアしまう。最初は、すごいこと言ってる!と言葉への驚きを得る。そして強さに惹かれる。慣れると自分でも好んで「強い言葉」を使うようになる。「強い言葉」を使うことで「強い人」に成れると思うからだ。私は弱いから「強い人」になりたいと思っていた。

(BLEACH藍染惣右介の、名言の意図がわかった。)

自分で吐いた「強い言葉」がシェアされると、おなじように「強い言葉」が生産されてシェアされる。

「強い言葉」は、自分の加虐性をあおる。
正論だ!差別だ!とツイートする気持ち良さはおかしい。きっとアドレナリンがドバドバとでている。

(人を傷つけるために正論はあるわけじゃないのにね、人を傷つけてる言葉なら、それはもう不正解だ)

「強い言葉」は少しずつ慣れてしまう。
「強い言葉」に慣れるとより過激に、より際どく、煽るような、言ってはいけないような言葉を使うようになる。でも、それらにも慣れていく。
結局、慣れて手に入れたモノは絶望感、疲労感だけだった。

負の思考が止められず、ネガティブに拍車がかかる。
このままではいけないと思ってTwitterアプリをアンインストールした。ニュースも見ることをやめた。

情報を遮断した。
穏やかになった。気が楽になった。
少しインターネットから距離を置いて、やわらかい言葉を使う小説やエッセイを読み返していた。
穏やかで明るくて前向きで美しい言葉が踊っていた。

私はこういう言葉と共に生きたいと思った。
「強い言葉」を使うのは控えようと思った。
「強い言葉」で幸せになる人はいるんだろうか。

残念ながらメディアは「強い言葉」で溢れている。
コンプライアンスはないのか、と疑うぐらいには。

だからこそ、「強い言葉」をやわらかい言葉に変換する力を身に付けたい。
「強い言葉」は生半可な気持ちで使っていい代物ではない。使うのなら覚悟を持たなければいけない。

「強い言葉」ばかりを好んで使っている各種メディアは、なんとも思わないのだろうか。もう少し多くの人たちが「強い言葉」に鈍感になっていることに気づかないといけない。